二つの立場でのお見送り。
太陽のように明るい奥様との最期のひととき。
闘病生活
36歳で乳がんのため旅立たれた最愛の奥様。喪主として、葬儀担当者として二つの立場でお見送りをしました。12年が経った今も、その葬儀はご主人の心に深く刻まれています。
ご夫婦は3人の子どもに恵まれました。一番下の子はまだ小さく授乳中だったそうです。胸の痛みを感じていたので、乳腺炎を疑い病院を訪れましたが、診断結果は乳がんのステージ4でした。そこから約1年半にわたる闘病生活が始まりました。入退院を繰り返し、最後はずっと病院で過ごすこととなりました。
奥様の願いは、、、
入院中、奥様は「葬儀のことは全部あなたに任せる」とご主人に伝えたそうです。ただ一つ、奥様の願いは「友人や知人、これまでご縁のあったすべての人に来てほしい」ということでした。ご主人はその言葉を大切に受け止め、奥様の希望を叶えるために心を尽くしました。
ご主人は葬儀社で働かれる前、花屋に勤めていたので祭壇は自らの手で作りあげたそうです。実は結婚式の際にも、お花はご自身で装飾を手掛けたと、懐かしい思い出を振り返られました。奥様の明るい性格を象徴するかのように、祭壇には太陽に向かって咲くヒマワリをメインに選ばれたそうです。
思いを込めた棺
棺は、参列してくださる方々にメッセージを書いてもらいたいという気持ちから、白木の棺を選びました。たくさんのお花とたくさんのメッセージと共にお別れしたく一番大きい棺を用意しました。式場の入り口には棺の蓋とペンを用意し、参列者の方々一人ひとりに心のこもった言葉を書いてもらいました。さらに、最後の瞬間に奥様が大切な家族の笑顔を見られるように棺の蓋の裏には家族写真を貼りました。
奥様の願い通り、葬儀には約300名の方が参列されました。式場は200名規模の会場と100名規模の会場の2つを使用し、奥様を想うたくさんの方々が最後のお別れに訪れました。奥様が入院中によく聞いていた、福山雅治の「家族になろうよ」とSuperflyの「輝く月のように」が流れる中、皆さんは温かな気持ちでお見送りをしました。
【担当者の一言/山戸克展さん】妻の葬儀について入院中から事前に考えていたのですが、本当にこれでよかったのかと今でも考えてしまいます、私が向こうに行ったら色々謝らなければならないことも沢山ありますが子供を成人させることが妻の供養になると思うのでしっかりと頑張ります。
【取材後記】ご主人の深い愛情と、多くの人々の温かい想いが一つになった感動的な時間だったのではないでしょうか。喪主の立場、担当者としての立場というご主人からの貴重な取材を通じて、愛する奥様を見送る特別な時間がどれほど心に残るものであったかを感じることができました。